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またカルボナーラのはなし。
うまかった。


━━━


専門店でも、ファミレスでも、レトルト食品であっても、構わない。

なぜならそれらが“幸福”を示していることに変わりはないからである。
大小さまざま、たとえ形が違っていても、“幸福”は“幸福”なのです。



前にも同じようなことを書いたかと思うけれど、
カルボナーラという料理は、“幸福”を具現化した料理だと思っている。

コクのあるソースはひたすら、明るく、明朗で、どこにも陰りがなく、迷いがなく、そして、やさしい。
どこに向かおうとしているのかがはっきりと示されているあの味は、
それを食べるものに安心と多幸感を与えてくれる。



カルボナーラを完成させた料理人の人はきっと、
“幸福”が何であるかを理解していたんだろう。
“幸福”を知らなければ、あのような幸せな食べ物を作り出すことはできないはずだ。

ただ、

その人の生活が実際に“幸福”であったのかどうかはわからない。
むしろ、不幸のどん底から思い描いた“幸福”を、表現しようとしていたのかもしれない。

なんとなく、そんな気がしてしまうのは、
カルボナーラの味が、どこまでもやさしいからである。

やさしくて涙がでそうである。なかんけど。



ここまで書いてきて云うのもなんだけれど、
“幸福”とは、いったい何なんだろうか?

僕は“幸福”というものが何なのか、さっぱりわからない。

けれど、カルボナーラを食べているときのあの感覚は、
“幸福”の一つの答えであって良いのではないかと思い、

アリストテレスやら、なんやら、大昔から人々が論じ続けてきた幸福論の解答用紙に、
半熟玉子のカルボナーラ、ダブル。
と書いて、店員さんを呼びたいと思う。サイゼリアで。

ふくふく。。。
2010.05.23 / Top↑
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