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ここにも、よく書き込みに来てくれている
僕の中学校時代からの友人の あなうまさんが、
自身のブログでこんなことを書いていた。

関西圏に住んでいたことがある自分にとっては、
あまり実感がわかないことだが、
関西圏以外の他の地方に住む人にとって、

関西弁をしゃべる女の子というのは魅力的に映るらしい。

という内容だった。


そうなのかな。

僕も一応関西圏出身のため、
関西弁にグッとくる という感覚はあまりない。
そりゃあ、京都で舞妓さんに会ったときは、
そのイメージどおりの話し口調で会話をしてくれたものだから、
とてもうれしかったのだが、

中学や高校などの日常生活の中で、
関西弁っていいな。って、
思ったことは一度もない。
当然といえば当然かもしれない。
ただ、その関西圏以外に住む人たちの、
言っていることが理解できないわけではない。

僕なんかは、博多弁にすごい魅力を感じてしまうから。

博多弁で、「好いとーと。」
なんて言われた日にゃあ、
ダンシング・オールナイトよろしく、
鯛やヒラメを 道行く車や中央分離帯に向かって
投げつけながら、舞い踊るかもしれない。

しない。


で、まあ。
関西弁は魅力的だ。とのことだが、

僕はどちらかというと、
関西弁は胡散臭い。 というイメージを持っている。

どんな格言であっても、壮大な名言であっても、
関西弁に翻訳してしまうことで、胡散臭くなる。
そういう法則があるんじゃないか。ということだ。

例えば、哲学者のニーチェが、関西人だったとして、
「神は死んだんや!」
と言ったのであれば、それは、もう、
泥酔しきった居酒屋のおっさんトークでしか
なくなるだろうし、

パスカルにしたって、

「実際問題な、人間は葦のように弱い存在なんちゃうんかな。
 けどな! それは、考える葦やねん!」

って言ったとしたら、
やはり深夜に繰り広げられる、
一体何べん聞かされたのかわからないような、
居酒屋酒乱トークにしか聞こえない気がする。

「あー、そうやね。まったく。うんうん。ああ、もうええよ。
 ええってば。。。」

言ってることは歴史に残るような深い内容であるのだが、
関西弁で言われるとなると、
もう、一人で勝手に焼酎を傾け続けたい気分になりそうだ。


「なぁ、翼ぁ、見てみぃ、アレがパリの灯ぃやで。」
「これはもう、町全体が宝石箱やー。」

リンドバーグのロマンティックな名言と、彦麻呂のグルメリポートが、
こんなにも、マッチするとは思わなんだ。

胡散臭くなるというより、ネタっぽくなる。
ということかもしれない。

キダタローがナニワのモーツァルトでまかり通っているのも、
そういうことなのかもしれない。


http://anauma9.blog62.fc2.com/←あなうまさんのブログ。「レントより遅く」
2006.04.16 / Top↑
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